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    長火鉢の傍(そば)に陣取って、食卓を前に控(ひか)えたる主人の三面には、先刻(さっき)雑巾(ぞうきん)で顔を洗った坊ばと御茶(おちゃ)の味噌の学校へ行くとん子と、お白粉罎(しろいびん)に指を突き込んだすん子が、すでに勢揃(せいぞろい)をして朝飯を食っている。主人は一応この三女子の顔を公平に見渡した。とん子の顔は南蛮鉄(なんばんてつ)の刀の鍔(つば)のような輪廓(りんかく)を有している。すん子も妹だけに多少姉の面影(おもかげ)を存して琉球塗(りゅうきゅうぬり)の朱盆(しゅぼん)くらいな資格はある。ただ坊ばに至っては独(ひと)り異彩を放って、面長(おもなが)に出来上っている。但(ただ)<bdi>99lib?</bdi>し竪(たて)に長いのなら世間にその例もすくなくないが、この子のは横に長いのである。いかに流行が変化し易(やす)くったって、横に長い顔がはやる事はなかろう。主人は自分の子ながらも、つくづく考える事がある。これでも生長しなければならぬ。生長するどころではない、その生長の速(すみや)かなる事は禅寺(ぜんでら)の筍(たけのこ)が若竹に変化する勢で大きくなる。主人はまた大きくなったなと思うたんびに、後(うし)ろから追手(おって)にせまられるような気がしてひやひやする。いかに空漠(くうばく)なる主人でもこの三令嬢が女であるくらいは心得ている。女である以上はどうにか片付<tt></tt>けなくてはならんくらいも承知している。承知しているだけで片付ける手腕のない事も自覚している。そこで自分の子ながらも少しく持て余しているところである。持て余すくらいなら製造しなければいいのだが、そこが人間である。人間の定義を云うとほかに何にもない。ただ入(い)らざる事を捏造(ねつぞう)して自(みずか)ら苦しんでいる者だと云えば、それで充分だ。

    さすがに子供はえらい。これほどおやじが処置に窮しているとは夢にも知らず、楽し<big></big>そうにご飯をたべる。ところが始末におえないのは坊ばである。坊ばは当年とって三歳であるから、細君が気を利(き)かして、食事のときには、三歳然たる小形の箸(はし)と茶碗をあてがうのだが、坊ばは決して承知しない。必ず姉の茶碗を奪い、姉の箸を引ったくって、持ちあつかい悪(にく)い奴を無理に持ちあつかっている。世の中を見渡すと無能無才の小人ほど、いやにのさばり出て柄(がら)にもない官職に登りたがるものだが、あの性質は全くこの坊ば時代から萌芽(ほうが)しているのである。その因(よ)って来(きた)るところはかくのごとく深いのだから、決して教育や薫陶(くんとう)で癒(なお)せる者ではないと、早くあきらめてしまうのがいい。

    坊ばは隣りから分捕(ぶんど)った偉大なる茶碗と、長大なる箸を専有して、しきりに暴威を擅(ほしいまま)にしている。使いこなせない者をむやみに使おうとするのだから、勢(いきおい)暴威を逞(たくま)しくせざるを得ない。坊ばはまず箸の根元を二本bbr>藏书网</abbr>いっしょに握ったままうんと茶碗の底へ突込んだ。茶碗の中は飯が八分通り盛り込まれて、その上に味噌汁が一面に漲(みなぎ)っている。箸の力が茶碗へ伝わるやいなや、今までどうか、こうか、平均を保っていたのが、急に襲撃を受けたので三十度ばかり傾いた。同時に味噌汁は容赦なくだらだらと胸のあたりへこぼれだす。坊ばはそのくらいな事で辟易(へきえき)する訳がない。坊ばは暴君である。今度は突き込んだ箸を、うんと力一杯茶碗の底から刎(は)ね上げた。同時に小さな口を縁(ふち)まで持って行って、刎(は)ね上げられた米粒を這入(はい)るだけ口の中へ受納した。打ち洩(も)らされた米粒は黄色な汁と相和して鼻のあたまと頬(ほ)っぺたと顋(あご)とへ、やっと掛声をして飛びついた。飛びつき損じて畳の上へこぼれたものは打算(ださん)の限りでない。随分無分別な飯の食い方である。吾輩は謹(つつし)んで有名なる金田君及び天下の勢力家に忠告する。公等(こうら)の他をあつかう事、坊ばの茶碗と箸をあつかうがごとくんば、公等(こうら)の口へ飛び込む米粒は極めて僅少(きんしょう)のものである。必然の勢をもって飛び込むにあらず、戸迷(とまどい)をして飛び込むのである。どうか御再考を煩(わずら)わしたい。世故(せこ)にたけた敏腕家にも似合しからぬ事だ。

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