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    横町を左へ折れると向うに高いとよ竹のようなものが屹立(きつりつ)して先から薄い煙を吐いている。これ即(すなわ)ち洗湯である。吾輩はそっと裏口から忍び込んだ。裏口から忍び込むのを卑怯(ひきょう)とか未練とか云うが、あれは表からでなくては訪問する事が出来ぬものが嫉妬(しっと)半分に囃(はや)し立てる繰(く)り言(ごと)である。昔から利口な人は裏口から不意を襲う事にきまっている。紳士養成方(ほう)の第二巻第一章の五ページにそう出ているそうだ。その次のページには裏口は紳士の遺書にして自身徳を得るの門なりとあるくらいだ。吾輩は二十世紀の猫だからこのくらいの教育はある。あんまり軽蔑(けいべつ)してはいけない。さて忍び込んで見ると、左の方に松を割って八寸くらいにしたのが山のように積んであって、その隣りには石炭が岡のように盛ってある。なぜ松薪(まつまき)が山のようで、石炭が岡のようかと聞く人があるかも知れないが、別に意味も何もない、ただちょっと山と岡を使い分けただけである。人間も米を食ったり、鳥を食ったり、肴(さかな)を食ったり、獣(けもの)を食ったりいろいろの悪(あく)もの食いをしつくしたあげくついに石炭まで食うように堕落したのは不憫(ふびん)である。行き当りを見るとは毫(ごう)も思い及ばなかったのだろうが北欧は寒い所だ。日本でさえ裸で道中がなるものかと云うくらいだから独逸(ドイツ)や英吉利(イギリス)で裸になっておれば死んでしまう。死んでしまってはつまらないから着物をきる。みんなが着物をきれば人間は服装の動物になる。一たび服装の動物となった後(のち)に、突然裸体動物に出逢えば人間とは認めない、獣(けだもの)と思う。それだから欧洲人ことに北方の欧洲人は裸体画、裸体像をもって獣として取り扱っていいのである。猫に劣る獣と認定していいのである。美しい?美しくても構わんから、美しい獣と見做(みな)せばいいのである。こう云うと西洋婦人の礼服を見たかと云うものもあるかも知れないが、猫の事だから西洋婦人の礼服を拝見した事はない。聞くところによると彼等は胸をあらわし、肩をあらわし、腕をあらわしてこれを礼服と称しているそうだ。怪(け)しからん事だ。十四世紀頃までは彼等の出(い)で立(た)ちはしかく滑稽ではなかった、やはり普通の人間の着るものを着ておった。それがなぜこんな下等な軽術師(かるわざし)流に転化してきたかは面倒だから述べない。知る人ぞ知る、知らぬものは知らん顔をしておればよろしかろう。歴史はとにかく彼等はかかる異様な風態をして夜間だけは得々(<abbr>九九藏书</abbr>とくとく)たるにも係わらず内心は少々人間らしいところもあると見えて、日が出ると、肩をすぼめる、胸をかくす、腕を包む、どこもかしこもことごとく見えなくしてしまうのみならず、足の爪一本でも人に見せるのを非常に恥辱と考えている。これで考えても彼等の礼服なるものは一種の頓珍漢的(とんちんかんてき)作用(さよう)によって、馬鹿と馬鹿の相談から成立したものだと云う事が分る。それが口惜(くや)しければ日中(にっちゅう)でも肩と胸と腕を出していて見るがいい。裸体信者だってその通りだ。それほど裸体がいいものなら娘を裸体にして、ついでに自分も裸になって上野公園を散歩でもするがいい、できない?出来ないのではない、西洋人がやらないから、自分もやらないのだろう。現にこの不合理極まる礼服を着て威張って帝国ホテルなどへ出懸(でか)けるではないか。その因縁(いんねん)を尋ねると何にもない。ただ西洋人がきるから、着ると云うまでの事だろう。西洋人は強いから無理でも馬鹿気ていても真似なければやり切れないのだろう。長いものには捲(ま)かれろ、強いものには折れろ、重いものには圧(お)されろと、そうれろ尽しでは気が利(き)かんではないか。気が利(き)かんでも仕方がないと云うなら勘弁するから、あまり日本人をえらい者と思ってはいけない。学問といえど<details>九九藏书</details>もその通りだがこれは服装に関係がない事だから以下略とする。

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